沿革
- 慶長5年(1600年)
- 大内家家臣 杉肥後守の祖母のために小串村にお堂を建立
妙青寺(豊浦町川棚温泉)中興(長門市湯本温泉 大寧寺十五世の)
関翁殊門和尚を開山に要請 - 明和7年(1770年)
- 豊浦功山寺(下関市長府)へ申請し、耕雲庵と称する
- 寛政元年(1789年)
- さらに功山寺の尽力で、耕雲寺と改称し現在に至る
今日まで幾多の苦難を乗り越え、耕雲庵から耕雲寺へと檀信徒と共に長い道のりを歩む中、佛天のご加護と檀信徒各位のご支援ご厚情により、法灯が絶えることなく今日を迎える事が出来ました。
- 名称:福田山 耕雲禅寺(ふくでんざん こううんぜんじ)
- 宗派:曹洞宗(そうとうしゅう)
- 本尊:如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)
- 本堂は、大正7年 十六世賢道和尚の代に改築
- 山門は、明治31年 十六世の代に再建
- 金毘羅佛鎮守堂は、寛政2年(1790年)二世全関和尚が創立
木像の金毘羅佛を安置 裏山にあったが、明治四十二年境内に移す
仏教の守護神 航海安全 十二年(申年)に一度の開扉
当寺は禅宗の中の曹洞宗に属し、大本山は福井の永平寺と横浜・鶴見の総持寺です。
金毘羅堂
小串金毘羅大権現略縁記
延亨三年 当時二世全関和尚 行脚のみぎり、
長府功山寺に於いて宿泊の折、夢に老翁(ろうおう)忽然(こつぜん)として現れ、和尚に告げた。
「我は是れ 金毘羅神なり、佛法守護の佛(ふつ)勅(ちょく)を蒙(こうむ)り、
一切衆生諸願成就を得させんと神変奇特を現すべし、是より北方の海辺に巍々(ぎぎ)たる山上に
一枚の霊石あり、誠に我が鎮跡有縁の地なり。
早く彼の地に到りて石上に社を営み得させよ」と告げ拾う。
夢醒められて、御告げの如くに北方を尋ねて
当小串浦に来られると果たして霊地あり。
誠に夢中のことに違わず是神勅なりと歓喜せられ、
善男善女によりお社を造営奉安し自らその寺に住持せられたり。
これ現在の耕雲寺なり。
多年信心の善男善女、七難諸病の苦を逃れ、殊に火難水災を救い拾う。
況や、船中海上安全守護し拾う。

曹洞宗について
曹洞宗は今から八百年ほど前の鎌倉時代に高祖(こうそ)道元禅師(どうげんぜんじ)さまが正伝の仏法を中国から日本に伝えて、ゆるぎなき基礎を築かれ、四代目の太祖(たいそ)瑩山禅師(けいざんぜんじ)さまが全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。このお二方を両祖大師(りょうそだいし)と申し上げます。ご本尊のお釈迦(しゃか)さま(釈迦牟尼仏)」とともに、一仏両祖(いちぶつりょうそ)として仰ぎます。